ロマンチック&ハプニング

ボヘミアンプロフィール

こんにちは、はじめまして、
詳しいプロフィールページに来ていただきありがとうございます。
人生いろいろ楽しんでもらえたらうれしいです。

のじまみなこ
1987年6月24日生まれ
東京田無市生まれ、埼玉川越育ち
ベッドタウンガール
3人兄弟の長女、弟が2人。
両親はどちらも硬派、
だけれどもかなり個性的、
2人が他とはひとあじもふたあじも違うことは大人になって気がつく。
真面目で個性的な世界観のもと育ちます。

ちびっこピリオド(1991~1994)

●家から一番近い幼児クラブに通う。歩いて1分。

●この幼児クラブもかなり個性的で、兄弟3人ともここに通う。
●年長さんのときに描いた手袋のデザインを褒められたのが嬉しかった。
●歩いて30分〜1時間くらいの小金井公園が園庭。めっちゃ歩くのでみんなたくましい。


小学校ピリオド(1994~2000)
●田無の小学校に6年間通う。
●校歌の作詞は谷川俊太郎さんで、かわいい校歌だった。
●ズボンがファッションポリシーでスカートを着たのは入学式と小学校1日目と卒業式の3日のみ。
●4年生くらいのときに30周年の航空写真のデザイン画に選ばれる。
●6年生の時に描いた選挙ポスターが努力賞だかなんかをとり、田無の選挙ティッシュに採用される。
●卒業した年、田無は保谷と合併し西東京市になる。卒業を機に川越に引っ越し。

中学校ピリオド(2000~2003)

● 埼玉コンプレックスがつよく、引っ越しても小学校からやっていた習字に意地で通う。いまとなっては田無も川越もたいした差はない。
●川越市22校の男女2人が選出されて学校代表として姉妹都市の中札内村への派遣事業にただ北海道に行きたいからという理由で参加。集まった人は基本生徒会の役員。これに参加したおかげで川越に知り合いができる。

高校ピリオド(2003~2006)

●電車で20分くらいの共学通う。
●部活は硬式テニス部。
●高校3年夏休みに短期留学でオーストラリアのプロサーパインへ。ドーム状の満天の星空に感動。
●のんきな夏をすごし、進路が不明な私をみかねて、3年秋美大予備校入る。
●短期集中でなんとか現役で女子美術大学デザイン学科に入学。奇跡。

女子美ピリオド(2006~2010)

●当たり前だけど女子しかいないのと、女子美コンプレックスに陥りもったいない1年を過ごす。杉並校舎だったのに。
●2年次からは相模原校舎へ女子大なのに、養鶏場と動物園の匂いがもう、、。
●弟2人が高校生、大学進学も控えてるかつ、学費がバカみたいに高額なお嬢様大学に行かせてもらっていたので、
実家から片道2時間、駅から自転車で30分、往復5時間通学を3年間する。

●毎日、移動してるのでやたらフットワークが軽かった。

●大学の授業でマラソンに出会う

●卒業旅行でサイパンとロンドンへ

OLピリオド(2010~2012)

●2010 新卒で医療機器メーカーのデザイン部に入社。
●入社と同時に総合職で入社するのに事務服着ろと言われる。なんでだ、そんなの聞いてない!と理由もとめると、「女だから」とのこと。
●頭にきてひとりで会社相手に制服戦争を決行。事務服着ないで出社。
●2日後に人事の部長に呼び出され、怒鳴られ着るか辞めるかの2択を突きつけられ、仕方なく事務服を着る。新人やばい女(奴)になったので、それをいい事にいろいろやりたい放題いろんな事をやらかしました。
●その会社は昔からのしきたりに縛られまくってる生きる化石会社、みーんな、社長や部長や課長に媚うってへこへこしちゃって、年数に応じで役職がつき、何ができるわけでもないのに、役職手当がつく。
●会社のお金を生み出してるのは男、女は事務男尊女卑がはっきりしていた。
●女の人は毎朝お茶くみ、〇〇さんは緑茶、〇〇さんはコーヒーブラック、〇〇さんはコーヒー砂糖、〇〇さんはコーヒーミルク、〇〇さんはコーヒー砂糖ミルク、と部署30人ほどのリスト渡されがっかり。クールビスだかなんだかで夏だけ終業時間が1時間早くなったタイミングで朝のいちおう部長の許可とってお茶汲み制度廃止に成功。

●いろんな面で世の中の流れと孤立しているが、そこは医療機器メーカー。好景気、不景気、関係なく需要があるらしい。どうかみなさんが幸せに暮らせますように。

ももクロちゃんにはまる。会社でやりきれない思いを彼女たちにそそぐ。
※ちなみにあーりん推し。

●2012 二度と会社に属することをしないことだけ決意してノープランで退職。
給料は悪くなかなった。でも時間がもったいないなかった。
満員電車に乗って着たくもない事務服きて、シーンとしたオフィスはとにかく苦痛。いろんな人に言われた、とりあえず3年やれば何が変わるという言葉を信じてみたが2年で終了。それは私と会社にも良いことだったでしょう!
ただ、医療機器メーカーに就職したことは祖母も両親もすごい喜んでくれたので少し申しなかったが、こんな生きにくい毎日をこの先続ける気はなかった。
新卒で安定した企業へ入社したことはせめてもの親孝行とした。

自由人ピリオド(2012~2017)

●2012会社に属することなく生きて行くことだけは定かで、
でも何かできるわけでもなく、頭がキレるわけでもないので、
ここからまたいばらの道がはじまる。
●あの解放感たるや、なんでもできる気がした。おもいだしてもあの時期はまぶしくて白飛び。初心忘るべからず。

●会社で貯めた天引き貯金はロンドンパリにちょろっと行って、その後税金に消えた
それなりの給料もらってたのでかなりの税金が搾取された。
●世の中のシステムや制度も知らないことだらけで、税金で撃沈。
●着て感動した服があり、その憧れのブランドでお手伝いさせてもらう。(今思えば完全に邪魔)
●会社員にはなりたくなかったので、アルバイトをする。
●日本に上陸して2店舗目のレストランのオープニングスタッフを募集しているのをみつける。トレーニングで本場アメリカからチアガールきて教えてくれるというので、小ネタにと思い応募。うっかり2年半も働く。

みんなのおばかさん

●当時の自分につけたキャッチフレーズは「みんなのおばかさん」!そのキャッチフレーズ通り、なかなかバカなことをしまくる。
● とりあえず、家をでてぼろぼろのDIYしてもOKという60人くらいのシェアハウスに住む。
●写真のYOUR SUNSHINE(あなたの太陽) Tシャツが地味に売れる。
●ビール酵母アレルギーが発覚、アトピーは子供の頃からずーっと付き合っている。皮膚科にかよいながら自然療法も取り入れて2017年も絶賛治療中。(アトピーについては別に書きたいこといっぱいあるので、また書きます。)

PEOPLE IN THE CITY 

●大学時代の友人でイラストレーターのキャンと一緒に絵を外に飛び出させちゃお!と街に出てやっていた企画。
●役職も肩書きも関係なく、街にいる人は平等であるというのが、コンセプト。
●Tシャツつくってうってたりしました。
●2013年ヤマハのコンペ入賞、活動を評価してもらった。
●いまは活動はストップ中、彼女は旦那と長野県松本でコーヒー屋さんに!
●アイディアあればやるかも。!

NOZZY BEEF JERKY
2013 知り合いのお兄さんたちが住んでる都会のシェアハウスの屋上で開催されていた燻製部、私も参加したい!と伝えると、条件はなんか仕込んできたらOKとのことだったので、ネタを探していたところビーフジャーキーが燻製でできていることを知る。
試しにネットのレシピ通りに作ってみたら、うまくできちゃった〜。
ビーフジャーキー作りにはまり、NOZZY BEEF JERKYが誕生。その後行商スタイルで売り歩いたりとお小遣いになったり。毎冬に作っていて、つくったら買ってくれるお客さんがいる。感謝。

インドショック(2013)

2013 面白いことしなきゃということだけで
へんてこりんなインドショック事件に出会う。
マイナスの連鎖はおそろしくつぎつぎとやばいことに出会いまくる。

(詳しくは傷が癒えたら書く)


セラヴィ・フランス革命(2013~2015)
2014 年フランス革命、シェアハウスで出会ったフランス人を追いかけてパリへ映画かよっていう1ヶ月を過ごす。彼とは会えてる時間は通算2ヶ月くらいだったのだけど、費やした時間は2年くらい。
彼の「きみはそのままでいいんだよ」ということばに救われる。そんこと言われたことなかったので。
このフランス人との出会いは私にとって大事な出会いで、
日本の付き合いましょうそうしましょうシステムが理解不能で受け入れられなかったのだけど別に気にしないでいいんだと思えるようになった。
(日本人は長いこと彼氏、いないとそのひとの人間性になんか問題あるとか、言いたい放題シャワーくるけど、いまならばしばし弾き飛ばせる。)
突っ込みどころ満載のリレーションシップだったけど、
2人の間ではなりたっていたはず。すくなくとも人生の1ヶ月間を共有したことは事実でそこは誰も介入できない、いまでもはっきり思い出せる。グッドメモリー。
文化の違う人と付き合うことができた経験は価値観を大きく変えてより自由にしてくれた。感謝。セラヴィ!

 無駄足 (2014.12~2015.6)
帰国して前のバイト先の社長に新しい事業のメンバーになってほしいと言われて手伝うようになる。
知らぬ間にその事業が頓挫してただの飲食アルバイターをさせられる。
のち、辞めてほしいと言われる。

デザイナーのアシスト兼 介護 (2015~)
そんなところに大学時代にボランティアしていたイベントのデザイナーから電話がくる。
デザインのイメージでいろんな人に電話してたみたいだけど、

ちょうど夏に向かう途中で、ひとが足りないことを知っていたので、仕事探してることをつたえると、「じゃあうちではたらけばいいじゃ」と、デザイナーとの仕事を始める。いまも続けている。


フリーランスピリオド(2017~)
2017 30代になる、20代のとっ散らかしを積み重ねていく作業の時期にはいる、
好きなのに近くにもっていけなかったファッションに携わる仕事をしたいと思うように。やぱっり私はアートとデザインとファッションで生きていこうと決意。
ブログもスタート。